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ノーベル賞を妄想する [雑感]

昨日、2010年のノーベル生理学・医学賞が発表され、英ケンブリッジ大学のロバート・エドワーズ名誉教授が受賞しました。
日本国民の多くが期待した、京都大学教授/京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥博士は、今年は受賞を逃しました。

エドワーズ名誉教授への授賞理由は、「体外受精技術の開発」ということですが、これには様々な思惑が含まれていると感じます。
その一つは、一部の思想に影響されない、科学における中立・客観性の徹底ではないかと考えます。

歴史を振り返ると、科学と思想・宗教はことある毎に対立してきましたが、最近になってバチカンに様々な不祥事が発覚すると共に、イスラム教とキリスト教の対立、中国に代表される共産党勢力の台頭など、世界は様々な思想対立の渦中にあります。

そんな中で、科学だけは本来、中立・客観的であらねばならず、それを捻じ曲げようとする勢力に対して、寛大ではいられなくなってきたように思います。
従来、ノーベル賞の選定においては、これらの問題は平和賞において強いメッセージとして発せられてきました。

しかし、地球温暖化や生物多様性などのキーワードから連想されるように、もはや全世界レベルで、共通の倫理観に基いた科学技術の発展を、志向しなければならない時代に、突入しているように思います。

ご存知のように、体外受精はキリスト教、特にカトリックの教義に反するものです。今回のエドワーズ名誉教授への授賞には、バチカンに対する強いメッセージが込められているように感じます。
そしてそれは、どのような政治的・宗教的圧力にも屈しないという、選考委員の強い意志の現れではないかと想像します。

ちなみに、各賞の選考は、「物理学賞」、「化学賞」、「経済学賞」をスウェーデン科学アカデミーが、「生理学・医学賞」をカロリンスカ研究所が、「平和賞」をノルウェー・ノーベル委員会が、「文学賞」をスウェーデン・アカデミーが、それぞれ行ないます。

さて、エドワーズ名誉教授への授賞理由のもう一つは、85歳というその年齢でしょう。ご存知のように、ノーベル賞は故人へは授与されません。
同程度の業績を有する複数の候補が存在する場合、最も平均余命が短いと思われる人に賞を授けるのは、人情を持ち出すまでもなく当然だろうと思います。

もちろん、最も重視されるのはその業績(社会への貢献度合い)であることは間違いないのですが、近年はそれにメッセージ性が加わり、そして年齢要件ということになるのではないかと考えます。
そうした場合、山中教授が受賞を逃した最大の理由は、その年齢の若さにあるのではないかと感じます。

それと同時に、具体的な臨床成果の蓄積や、生殖医療に関するガバナンスの成熟が求められているのではないでしょうか?
そして、今回のエドワーズ名誉教授の受賞は、生殖医療をタブー視しないという先鞭を付けるためにも、必要だったのではないかと想像します。

いずれにしましても、山中教授はそう遠くない将来に(生きていれば)確実にノーベル賞を授賞されるでしょうし、それだけの業績を有しています。
そして、今回のエドワーズ名誉教授への授賞によって、宗教倫理という唯一の懸念材料も取り除かれました。

さて、今日はノーベル物理学賞の発表です。ここからは完全に私の妄想なのですが、今年は英ケンブリッジ大元教授のスティーブン・ホーキング博士にとっての、最大かつ最後の受賞チャンスではないかと思います。

ホーキング博士は最近、著書の中で、「宇宙の誕生に神は必要ない」と述べ、物議をかもしました。これには、「ビッグバン宇宙論はキリスト教の教義と矛盾しない」としてきたバチカンも、黙ってはいませんでした。

最初の点火は神が行なったものであるという、バチカンの解釈に対し、ホーキング博士は、神が点火しなくても宇宙は誕生した、と述べたわけです。
その主張が認められれば、この宇宙に神の居所はなくなってしまいかねません。

この、バチカンとの対立というメッセージは、前述のエドワーズ名誉教授の事例と類似しています。合わせて、ホーキング博士はまだ68歳ながら、筋萎縮性側索硬化性という重病を長く患い、いつこの世を去っても不思議ではない状態です。

ホーキング博士の業績、特に宇宙論に与えた影響は非常に大きなものなのですが、これは実験や観測による検証が極めて困難な分野であるために、ノーベル賞の授賞は難しいのではないかと、一般には考えられているようです。

相対性理論で知られるあのアインシュタインでさえ、ノーベル物理学賞は「光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明」に対して授けられたものでした。
ただ、アインシュタインは受賞スピーチにおいて、臆面もなく相対性理論について話したというのは有名な話です。

ホーキング博士の業績がアインシュタインの相対性理論に匹敵するかどうかはさておき、検証困難な理論物理学の分野においては、ノーベル賞の受賞というのはそれほど困難なことなのです。
一昨年の南部博士、益川博士、小林博士のノーベル物理学賞受賞に際しても、長い年月を経た技術発展の結果、理論が実証されたが故に成し得たわけです。

さて、万が一(失礼)ホーキング博士がノーベル賞を受賞するとしますと、東京大学物理学科元教授で明星大学理工学部物理学科客員教授の佐藤勝彦博士にも、同時受賞の期待がかかってきます。佐藤博士はいわゆるインフレーション宇宙論の提唱者であり、同理論は現在の深宇宙観測結果をよく説明する理論として、注目されています。

佐藤博士は、2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴博士の弟子であり、また、自らもノーベル賞候補として期待されながら、2年前に直腸ガンのため若くして他界した戸塚洋二博士の、東京大学時代の同僚でもあり、もしもノーベル賞を受賞することになれば、戸塚博士の無念を晴らすことにもなるでしょう。

最後に、ノーベル平和賞について少し触れておきます。先日、中国外務次官が、中国の人権活動家である劉暁波氏に授与するな、と圧力を掛けてきたことが話題になりましたが、これは昨今の中国の影響力の増大を象徴する出来事です。

私の妄想によれば、ノーベル賞は科学技術分野においてもメッセージ性が強まっており、ましてや、平和賞にあたっては何をかいわんやでしょう。
そう考えると、中国が圧力を掛けてきたことにより、むしろ劉暁波氏の受賞の可能性が強まったとも考えられるかもしれません。

ただ、ノーベル賞の授賞が必ずしも受賞者やその周囲の活動を支援することにはならず、むしろ逆境に追いやってしまう可能性もありうることから、授賞には慎重に成らざるを得ないという意見もあるでしょう。

ただ、それでは圧力に屈してしまったと取られかねず、ノーベル賞の意義そのものが問われてしまうことになるため、授賞候補者への弾圧は、むしろ授賞への後押しになるようにも思えます。
メッセージ性を考えれば、最近の中国の強権的な発言や行動を牽制する意味においても、中国人活動家への授賞は時宜を得たものだと思います。

なお、タイトルにもありますように、以上の話は全て私の妄想です。特に、ホーキング博士が受賞するいかなる客観的な根拠もありませんが、ご容赦いただきたく存じます。
いつもよりも大分早いですが、後付けとならないように、今日はこの時間にブログを更新いたします。


19時10分 追記

ホーキング博士のノーベル物理学賞受賞は、やはり妄想に過ぎなかったようです。


10月6日 追記

生殖医療に関しては、2007年に米国のカペッキ博士、英国のエヴァンズ博士、米国のスミティーズ博士が、「ES細胞を用いての、マウスへの特異的な遺伝子改変の導入のための諸発見」で、ノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
大変失礼いたしました。

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