SSブログ

祝・日本文理高校準優勝 [雑感]

夏の全国高校野球大会で、新潟代表の日本文理高校は、見事な準優勝で最後を飾りました。特に、9回2アウトからの驚異的な粘りには、新潟県民のみならず多くの方々が感動を覚えたのではないかと思います。

新潟県は、以前はどちらかといえばマイナーな存在でした。それが皮肉にも、中越地震、中越沖地震という2つの大きな災害、不幸な出来事を通じて、大きな意識改革が生じました。
さらには、サッカーJ1のアルビレックス新潟を始めとするプロスポーツの進展や、今年の大河ドラマ「天地人」のブームなどもあって、新潟県民の意識は明らかに変わって来ています。

今回の日本文理高校の活躍の背景には、これらの目に見えない改革の積み重ねがあったものと想像します。
野球やサッカーに限らず、他の分野でも、多くの方々が活躍していることは嬉しい限りです。

その一方で、人生に絶望し自殺する人もまた、全国的に見て上位にあることも事実です。その背景については詳しくは知りませんが、ただ一つだけ言えることは、存在理由のない人はこの世に一人もいない、ということです。

どんな人にも存在理由があり、周囲に影響を及ぼしています。そしてそれは、文明が発展する過程において、なくてはならないものです。
極論を言えば、どんな極悪人であったとしても、存在理由はあるわけです。

例えば犯罪者が存在することによって、犯罪の行動パターンが分析され、それは新たな法整備や社会環境の構築に生かされます。
それによって、新たな犯罪の防止や社会の平和が促進されることになるわけです。

ましてや、犯罪に関わりのない善良な市民が存在しなくとも良いなどという、いかなる理由も存在するはずはありません。
例えば障害者が存在すれば、彼らを介護するために少なくとも新たな雇用が生まれます。そしてそれは、多くの人々の生活を成り立たせます。

さらには、そのような活動を通して、全ての人に優しい社会のあり方を模索する動きが出てきます。それは、人類にとって大きなプラスとなるはずです。

例えば、文明から隔絶された人々が存在したとしても、彼らに存在理由があることを否定する理由はありません。
それは、多くの研究者の研究活動を促すことになるかもしれません。

そのように考えると、存在理由があるのは何も人類だけという訳ではないことに気が付きます。全ての生物は元より、全ての物質に至るまで、そこに存在している理由があるはずです。
そして人間は、そのことに価値を見出すことができる存在の一つということになるわけです。

最後は何か変な話になってしまいました。別に他意はありませんので、軽く読み流してください。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。