2011年のシステム事情 [雑感]
あけましておめでとうございます。昨年中は当ブログをご覧いただき、ありがとうございました。
本年もよろしくお願いいたします。
いよいよ2011年相場が始まりました。私はといえば、特に運用システムのメンテナンスを行なうでもなく、新システムを追加するでもなく、相変わらず現行システムの指示待ち状態です。
現在運用中の日産は、年明け早々4%超の大幅上昇となりましたが、キャッシュポジションのため、その恩恵には与れませんでした。
まあ、逆に張っていたら大幅損失となっていたわけであり、安心して年末年始を過ごせただけでも幸運だったと思います。
今日の上昇でシグナルが出るかと思いきや、正逆両システムともドテンとなり、結局行って来いでキャッシュポジション継続です。
システムトレードも大分認知度が高まり、「システムはこうあるべき」といった話題もいたる所で目にすることができますが、最近個人的に思うのは、たぶん正解なんてないんじゃないかな、ということです。
テクニカルだろうが、ファンダメンタルだろうが、マルチファクターだろうが、自己回帰だろうが、順張りだろうが、逆張りだろうが、裁定だろうが、ポートフォリオだろうが、結局のところ、機能するものは機能するし、機能しないものは機能しないわけです。
もちろん、それぞれの戦略によって、機能し易い、機能し難いの違いはあるでしょうが、最終的にはそのシステムに賭ける情熱や信念、それまでに培ってきた投資哲学に、大きく依存するのではないかと思ってしまいます。
どんなに優れたシステムトレーダーであっても、大きな損失を被ることは多々ありますが、そのような状況におけるアプローチの仕方によって、その後の結果は大きく違ってくるわけです。
そこでは、多分に裁量的な判断が深く関わってくるでしょうし、そうでないとしても、システムトレードを行なうどこかの段階では、必ず裁量部分が入ってきます。
その部分に必ず、情熱や信念、哲学が反映されます。そしてそのことが、同じように似通ったシステムであっても、それを運用する者によって結果に大きな差が生じてくる要因の、重要な一つになっているのではないかと思います。
もちろん、マネーマネジメントも重要ではありますが、それはシステムそのものよりも、より色濃く哲学が反映されることになるでしょう。
そういった意味では、マネーマネジメントはシステムと並んで重要ではありますが、それらの上位には必ず、裁量的な判断が入ってくるわけです。
もしも完全に裁量を除外するとしたら、システムの開発者は人間であってはいけないことになります。それは高度なコンピュータプログラムかもしれませんし、アンドロイドかもしれません。
しかし、それらを設計したり選択したりするのはやはり人間であり、結局のところ、裁量の連鎖を断ち切ることはできません。
すなわち、極度に高度化した投資環境であっても、その最初の判断、例えばシステムの開発をどのアンドロイドに行なわせるか、などといった判断を行なうのは、最終的なアウトプットを享受する人間になるわけです。
死刑執行ボタンのように、そこにランダム性を持たせることは、もちろん可能です。そかし、それではシステムの客観性を担保できません。
裁量性を除外するために客観性を排除したのでは、本末転倒です。
このように考えると、裁量と客観とは、必ずしも対立する概念ではないことがわかります。そうなると、重要なのは、如何に自らの投資哲学を極めるか、ということに行き着きます。
それによって信念と情熱を注いだシステムであれば、結果は自ずと付いてくるのではないかと思う次第です。
聖杯は、それを使う人によって毒にも薬にもなります。聖杯を手に入れるために、自らの哲学を磨き続けている人にとっては、それは薬になるでしょう。
でも、そのような人は既に気付いているはずです。自らの投資哲学こそが、聖杯そのものであるということを。
本年もよろしくお願いいたします。
いよいよ2011年相場が始まりました。私はといえば、特に運用システムのメンテナンスを行なうでもなく、新システムを追加するでもなく、相変わらず現行システムの指示待ち状態です。
現在運用中の日産は、年明け早々4%超の大幅上昇となりましたが、キャッシュポジションのため、その恩恵には与れませんでした。
まあ、逆に張っていたら大幅損失となっていたわけであり、安心して年末年始を過ごせただけでも幸運だったと思います。
今日の上昇でシグナルが出るかと思いきや、正逆両システムともドテンとなり、結局行って来いでキャッシュポジション継続です。
システムトレードも大分認知度が高まり、「システムはこうあるべき」といった話題もいたる所で目にすることができますが、最近個人的に思うのは、たぶん正解なんてないんじゃないかな、ということです。
テクニカルだろうが、ファンダメンタルだろうが、マルチファクターだろうが、自己回帰だろうが、順張りだろうが、逆張りだろうが、裁定だろうが、ポートフォリオだろうが、結局のところ、機能するものは機能するし、機能しないものは機能しないわけです。
もちろん、それぞれの戦略によって、機能し易い、機能し難いの違いはあるでしょうが、最終的にはそのシステムに賭ける情熱や信念、それまでに培ってきた投資哲学に、大きく依存するのではないかと思ってしまいます。
どんなに優れたシステムトレーダーであっても、大きな損失を被ることは多々ありますが、そのような状況におけるアプローチの仕方によって、その後の結果は大きく違ってくるわけです。
そこでは、多分に裁量的な判断が深く関わってくるでしょうし、そうでないとしても、システムトレードを行なうどこかの段階では、必ず裁量部分が入ってきます。
その部分に必ず、情熱や信念、哲学が反映されます。そしてそのことが、同じように似通ったシステムであっても、それを運用する者によって結果に大きな差が生じてくる要因の、重要な一つになっているのではないかと思います。
もちろん、マネーマネジメントも重要ではありますが、それはシステムそのものよりも、より色濃く哲学が反映されることになるでしょう。
そういった意味では、マネーマネジメントはシステムと並んで重要ではありますが、それらの上位には必ず、裁量的な判断が入ってくるわけです。
もしも完全に裁量を除外するとしたら、システムの開発者は人間であってはいけないことになります。それは高度なコンピュータプログラムかもしれませんし、アンドロイドかもしれません。
しかし、それらを設計したり選択したりするのはやはり人間であり、結局のところ、裁量の連鎖を断ち切ることはできません。
すなわち、極度に高度化した投資環境であっても、その最初の判断、例えばシステムの開発をどのアンドロイドに行なわせるか、などといった判断を行なうのは、最終的なアウトプットを享受する人間になるわけです。
死刑執行ボタンのように、そこにランダム性を持たせることは、もちろん可能です。そかし、それではシステムの客観性を担保できません。
裁量性を除外するために客観性を排除したのでは、本末転倒です。
このように考えると、裁量と客観とは、必ずしも対立する概念ではないことがわかります。そうなると、重要なのは、如何に自らの投資哲学を極めるか、ということに行き着きます。
それによって信念と情熱を注いだシステムであれば、結果は自ずと付いてくるのではないかと思う次第です。
聖杯は、それを使う人によって毒にも薬にもなります。聖杯を手に入れるために、自らの哲学を磨き続けている人にとっては、それは薬になるでしょう。
でも、そのような人は既に気付いているはずです。自らの投資哲学こそが、聖杯そのものであるということを。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
今回の記事は思わず頷いてしまう箇所が多くありました。
僕もシステム<<<投資哲学だと思っています。
結局は手法なんかより運用する人なんでしょうね。
by Ina (2011-01-05 19:15)
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
私がそのような考えに至ったのも、ひとえにInaさんやY102さんの投資手法やその結果を鑑みたからです。
そこには、「客観」の一言では片付けられない「哲学」があると、強く感じた次第です。
by Kフロー (2011-01-05 19:35)