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「大事」の度合い [雑感]

非常に古典的な例えで申し訳ないのですが、妻が旦那に「家庭と仕事とどっちが大事なの!?」と詰問するシーンがあります。
その答えは大抵、「どちらも大事だけれど、比較できるようなものではない」となります。

大事、もしくは好きなど、価値観を表す言葉は一つでも、その対象は無数にあり、けして同列に比較できるものではありません。
それを知ってか知らずかは分かりませんが、人は往々にして二者択一を迫る場合が多々あるように感じます。

今、「好き」の度合いを1本の矢印で表すことにします。矢印が長く伸びるほど、「好き」の度合いが大きく、短いほど「好き」の度合いが小さいということになります。
ここで、矢印の長さは有限であり、また、負の長さというものは存在しません。

負の長さを導入して、それに「嫌い」という意味を持たせればいいのではないかと思われるかもしれませんが、「好き」の反対は、必ずしも「嫌い」ではなく、実に様々な意味合いを持つと考えられます。

したがって、「嫌い」を表すには、「嫌い」の度合いを反映した正の長さの矢印を、別途用意しなければなりません。
もちろん、その反対は厳密には定義できず、少なくとも「好き」ということではありません。

さて、この「好き」の矢印(ベクトル)は、n次元ユークリッド空間の原点を始点としており、1つの長さと、n-1個の各座標軸からの角度を有します。
各座標は、「好き」を構成する様々な要素を表し、「好き」の矢印の角度は、それらの要素の影響度合いによって異なります。

すなわち、「好き」を「大事」に置き換えた場合に、「家庭」と「仕事」の「大事」度合いとは、同じ長さを持つ矢印でありながら、それぞれを構成する座標軸からの角度が異なった矢印である、ということが言えます。

これは、別の表現を用いれば、同じ度合いの「大事」は、同一n次元球の表面上の異なる地点を表す、とも言い換えることができます。
同じ「大事」でも、東京における「大事」とニューヨークにおける「大事」とは異なる、と言うわけです。

でも、n次元なんてものを持ち出すと、訳が分からなくなってしまいます。そこで、連続体の濃度は全て同じであることから、n次元空間上の矢印を2次元平面に転写してみます。
すると、全ての要素は平面上の1つの角度に集約され、「大事」の度合いを平面座標の原点を中心とした円周として表すことができます。

すなわち、「大事」の度合いを示す矢印は、平面上の円の中心から円周上の任意の点までの矢印として表されることになります。
そして、「大事」の度合いが等しいものの、その要素が異なる場合は、異なった矢印として表されるわけです。

両者の角度が小さい場合は、「大事」の要素も近く、比較も出来なくはない、ということになりますし、両者の角度が大きい場合は、「大事」の要素に大きな隔たりがあり、両者を単純に比較することは出来ない、ということになります。

結局、何が言いたいのか分からない話になりましたが、まあ、価値観は人それぞれであり単純に比較することはできませんし、ましてやそれを人に押し付けることなどできやしない、ということかもしれません。

ちなみに、我が家は今のところ円満です。
「冒頭の会話などしたことはありません!」と断言できるかどうか、ちょっとアヤフヤではありますが(^_^;)

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