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純資産会計基準の導入提案 [投資・経済全般]

米国のサブプライムローン問題に端を発した金融危機は、収まるどころか益々混迷の度合いを深めています(ただし、今日時点では先週末に対し大きく戻しています)。当初は日本国内に与える影響は軽微だと言われてきましたが、徐々に実体経済に深刻な影響を与えつつあるように思えます。

先日の大和保険の経営破綻に見られるように、証券化商品のみならず、株式の評価損の増大もまた、破綻の一因となりました。
比較的体力の残っている大手銀行各社も、昨年までは大幅な株式評価益を得ていましたが、このところの株価急落で、ついに評価損に転じたようです。

このまま株価が再び戻れば、決算への影響は少ないのかもしれませんが、一定以上の評価損失を抱えたまま決算を迎えてしまうと、それが簿価会計基準であっても、大幅な損失を計上しなくてはならなくなるかもしれません。

ましてや、時価会計基準を導入している場合は、株式の評価損をそのまま決算に計上しなければならないわけで、株価がこのまま低迷を続けていると、大幅な減益は避けられなくなります。事実、一部の大手銀行は、すでに株式評価損による大幅な減益予想を打ち出しています。

この構図は、日本においてもバブル崩壊時にみられた現象であり、その結果、貸し渋りや貸し剥がしが横行して、日本経済を不況のどん底に追いやったことは、記憶に新しいところです。
すでに一部の金融機関では貸し渋りが起こりつつあり、それがどんな結果につながるかを認識しながら、まったく同じ過ちを犯しつつあります。

このところの経済ニュースなどでは、金融市場が実体経済に影響を与えてきた、などという表現を用いる場合が増えてきました。
金融市場は血液のようなものであり、それが順調に流れている限りは、流れが部分的に早くなったり遅くなったりすることはあっても、実体経済に直接的な影響を与えることは少ないように考えられてきたかと思います。

たとえば、金融の流れは実体経済の本質的価値を反映し、株価は多少の行き過ぎはあっても、いずれは適正価格に是正されると考えられています。
経営が健全な企業のPBRが1を大きく下回ることは、通常は考えにくいことですし、適正に算出された配当の利回りが5%にも達することは、特に最近の低金利時代においては極めて特異な状態です。

合理的な経済人であるならば、そのように極端な割安株を見逃すはずはありませんし、その結果、株価は一定水準を回復する傾向があるわけです。
もちろん、身の丈を無視した過剰配当を出したり、資産価値が急激に悪化している最中での低PBRである場合は、それは割安とは捉えられず、いずれは市場から淘汰されるでしょう。

しかし、例えばトヨタ自動車などの国際優良株が、上述のような異常なまでの状態に置かれている現実を目の当たりにすると、現在の金融市場が如何に非定常な状態にあるかが分かります。
例えばトヨタ自動車は、大幅な減益予想が囁かれていますが、それでも赤字に転じることは考えにくいですし、減配も今のところは無さそうです。

資産の大半が不動産や有価証券である場合を除いて、企業業績が赤字に転落しない限り、通常は純資産が減少することは考えにくく、したがって、少なくとも株価が上昇しないのであれば、PBRが上昇することはありません。
すなわち、PBRはPERとは異なり、目先の収益に左右されにくい指標であると言えます。

健全な企業の純資産が減少することは通常は考えにくいのですが、金融機関のように有価証券やデリバティブ(金融派生商品)を大量に抱えている企業や、不動産を大量に保有している企業の場合は、それらの評価損によって純資産額が大きく下落する場合があります。
そして、それによって資本不足に陥り、増資ができない場合は破綻の可能性が高まります。

時価会計基準においては、例えば保有している株式を実際に売却できる価格、すなわち、直近の株価(時価)で評価する必要があります。
したがって、買値よりも株価が下落すれば、その下落分を損失として計上しなければなりません。

これは、確かに合理的な考えですし、私も以前から時価会計基準で自身の資産の評価を行ってきました。
その場合、例えばPBRが1倍となる株価が1,000円である株式を1,500円で購入し、それが500円に下落したとすると、1,000円の評価損を計上することになります。

私は弱小個人投資家ですから、例えその株式が1,000円の価値があると叫んでみたところで、現実的には時価である500円で売却するしか選択肢がないのです。
もちろん、今売れば500円にしかなりませんが、それを我慢して保有し続ければ、売却額は上昇する可能性もありますし、もちろん下落する可能性もあります。

では、一般の企業、特に金融機関はどうでしょうか。彼らは企業経営のプロフェッショナルですから、株式を市場で売却する以外に、例えばその企業を買収して解散したり、解散までしなくても、その企業から安定収益を得たり、他社に転売したりすることは不可能なことではないでしょう。

もちろん、その企業の資産によっては、計上されていた価格で売却できなかったり、買い手がつかなかったりするものもあるでしょうが、それは一先ず脇に置いておきます。
そうすると、その株式の本質的な価値は、株価ではなく一株当り純資産で測るべきではないかと考えるわけです。

すなわち、今や国際標準となりつつある時価会計基準に代わって、純資産会計基準とでも言うものを採用してみたらどうでしょうか。
その際、純資産の定義を考え直す必要があるかもしれませんが、基本的にはそのようにして決定された価格を、資産評価の基準に据えるわけです。

株価は、本来は実体経済とは独立したものです。例えば、トヨタ自動車の株価が1,000円になったところで、トヨタ自動車の売り上げが落ちたり、営業利益が減少したりするわけではありません。
企業が株式発行によって資金を得るのは、通常は上場か増資の時です。日常の株価騰落によって、自社の資産価値が増減することは(大量の有価証券を保有していない限り)ありません。

もちろん、時価総額が減少したりすることで、買収されやすくなるとか、融資を受けにくくなるとか、そういった問題はあるでしょうが、営業活動そのものへの影響が生じる理由にはなりません。
株式市場が健全であるならば、そのようないびつな株価形成はいずれ是正されるわけですが、市場全体がパニックに陥り機能しなくなると、長く是正が行われなくなってしまいます。

しかし、金融機関においては、そのような株価そのものが、自らの資産に大きな影響を与えます。実際には1,000円の価値がある株式を保有していても、それが500円に下落したならば、500円の損失を計上しないといけないわけです。

これは、金融市場と実体経済とのバランスが取れていないことが原因です。例えば金融機関の資産評価において、実体経済を反映しない株価が含まれることにより、実体である金融機関の経営状態が著しく不安定になってしまいます。

ある金融機関が保有する例えば株式の評価損が増大し、経営破綻に追い込まれたとした場合、その金融機関の資産価値はどうなるのでしょうか。
株式を時価で売却すれば、もちろん資産価値はありません。しかし、それらの株式は、本来はもっと大きな実体的価値を持っているはずです。

もしも破綻した企業を買取り、そこが保有していた株式を数年間寝かせて置いた場合、それだけで、大きな収益が得られる可能性があります。
しかし、その収益を得るのは、破綻した企業ではなく、それを買収した企業です。

それならば、なぜその企業は破綻しなければならなかったのでしょう。そこに、時価会計基準の課題があります。
また、まだ大人しく破綻してくれるだけなら、ましかも知れません。

もしも金融機関が大きな評価損を抱えると、自身を守るために貸し渋りや貸しはがしが横行するでしょう。それによって、本来ならば破綻しなくてもいいような企業が、先に破綻してしまうかもしれません。しかし、その前提となる評価損が、本当に回収不能な損失なのか、大きな疑問が残ることになります。

ここで会計基準を、時価基準から純資産基準にしたらどうなるでしょうか。株価が1株当り純資産を下回った分の評価損は、計上しなくてもよくなります。
また、もしも1株当り純資産よりも安く購入した株式を保有していたなら、その差額を評価益とすることができるようにしてみましょう。

そうすると、金融機関は株価の下落に神経をとがらせる必要はなくなります。1株当り純資産は下振れの少ない指標ですから、それを見越して株式を購入すれば、安定した経営が実現し、その結果、不要な貸し渋りや貸し剥がしの件数が減少するのではないでしょうか。

また、当然のことながら、それは株式市場の安定にもつながります。金融市場と実体経済が密接に結びつくことによって、金融市場の下振れリスクが低減します。
実体経済の指標である1株当り純資産がアンカーになり、株価はそれに対して裁定が働きやすくなるわけです。

一方、株価が1株当り純資産よりも高い、すなわちPBRが1よりも大きい場合は、通常の時価評価を行えば良いでしょう。
また、株式を市場で売却する場合は、その時点のPBRが1より小さいとしても、当然、時価での売却となり、それまで計上していた評価益は考慮されないことになります。

もちろん、PBRに上限はありませんから、株価が上昇する分には裁定は働きません。あくまで、株価が1株当り純資産よりも下落する場合に対して、恒常的な裁定圧力が生じることになります。
もしも、PBRが極端に低い株式が放置されていたとしたら、それを購入した金融機関は、購入価格と1株当り純資産との差額を、評価益として計上できるようになります。

そうすると、破綻の可能性が大きい企業の株式を購入して、不当に高い評価益を計上するのではないかと思われるかもしれませんが、四半期決算開示を徹底すると共に、大きな資産変動があった場合の即時開示義務を課すことによって、評価損益をそれに連動させるよう義務付ければ、危ない企業の株式を買い集めて、評価益を計上することは難しくなるでしょう。

なによりも、その企業が破綻してしまったら、それまでにいくら大きな評価益を計上していたとしても、それは水泡に帰すわけですから、決算目的だけで低PBR銘柄を保有する可能性は低いのではないかと考えます。もちろんそれは、純資産の評価方法を改善し、実態と大きくかけ離れないような基準を策定することが大前提となります。

また、純資産会計基準を適用できる企業の要件を厳しくすることで、例えば株価が100円以下の企業などを除外することができるでしょう。
ただし、純資産会計基準の導入により、企業が抱える有価証券の下値は限定されるでしょうが、不動産の問題は残ります。

サブプライムローン問題のような、不動産価格の下落に端を発する純資産減少には、純資産会計基準は効果を発揮しませんが、これはもともと実体経済の影響なので、無理に資産を嵩上げする必要はありません。

むしろ、それによって動揺した金融市場が形成する、実体経済を反映しない有価証券価格が是正されることこそが、純資産会計基準導入の最大の目的となります。
これは、例えば株価の急峻な動きを抑制し、市場に安定をもたらす効果が期待できるのではないでしょうか。

実は、このように企業の資産価値を基準とする手法は、ごく当たり前のように、日常的に行なわれています。それは、企業買収の際の資産査定であったり、融資枠の設定であったり、あるいは、企業に対する格付けの算定や、目標株価の設定であったりします。

しかし、これらは現実には、市場の行き過ぎを食い止めるどころか、それを助長する傾向が強いように思われます。
その要因は、客観的で統一された評価が行なわれていないことに尽きるでしょう。

買収や融資を行なう側の企業は、少しでも自社に有利になるように、資産査定をできるだけ厳しくするでしょうし、格付けを発表する側の企業は、自社の評価基準を明確にしません。
そのようなばらばらな基準が横行することで、市場が真に信ずるべき評価基準が分からなくなってしまうわけです。

そこで、そのような資産評価に客観的な方法を与え、統一的な導入を図ることで、金融市場に共通認識を持たせ、不要なパニック売りを抑制する効果が得られると考えられます。
もちろん、企業間の買収交渉は市場外の企業活動ですから、その際の資産査定に関する独自の評価を妨げるということはありません。

純資産会計基準の最大の問題点は、純資産をどのように評価するかということでしょう。純資産は、一般的には、「利益剰余金+法定準備金+資本金(+有価証券等の評価損益)」で定義されます。
これらは基本的には、決算資料に記載されているはずですから、そういった意味では客観性が保たれているように見えます。

少なくとも半期に一度、通常で四半期に一度は、純資産が開示されることになります。しかし、その純資産が、本当にその企業の清算価値を表しているかと言えば、そこには様々な疑問があると言わざるを得ません。

例えば固定資産などは、それが特殊なものであればあるほど、簿価での売却は困難でしょうし、不動産は簿価と時価との乖離が著しい場合が多々ありますので、これらを再定義する必要があります。
有価証券に関しては、株式だけを取ってみても、全企業の純資産が決まらないと、自身の純資産も決めることができないという矛盾が生じます。

これについては、純資産会計基準に若干の移行期間を設けるとともに、保有株式の1株当り純資産を決定する基準を、例えば四半期前の当該企業の純資産とする、などとする必要があるでしょう。
そうしてみても、数学的には時価の影響が消え去ることはありませんが、期を重ねるごとにどんどん希釈化されていくわけであり、それで良しとする必要があります。

いずれにしましても、純資産会計基準を導入する場合には、純資産の定義をもう一度見直す必要があるでしょう。
あるいは、それは純資産とは別の呼び方が適しているのかもしれません。

バブルの崩壊は、過大に評価された企業価値(純資産)が、本来の適正価値に収斂する過程です。しかし、その過程の中では、本来は適正範囲にあった企業価値までもが行き過ぎと判断されて、適正価値を大きく下回ってしまう場合が生じます。

従来は、それはいずれ是正されると考えられ、金融市場の自己矯正能力に任せられました。しかし、それでも市場の歪が解消されない場合は、大規模な政治介入が行われてきました。
それは、そもそも金融市場の自己矯正能力に、重大な欠陥があるからです。それは、負の連鎖に陥りやすいという構造的な欠陥です。

その根源は時価会計基準にあり、株価と会計を切り離しているが故に生じる歪が、どんどん拡大して行ってしまうわけです。
実体経済を反映しない株価形成が、企業会計を損耗し、それが再び株価形成を歪ませる。そのような悪循環が、繰り返されていくことになります。

そうであるならば、打つべき手立ては明確です。株価形成に、否が応でも実体経済を反映させるようにすれば良いことになります。
その一つの方法が、純資産会計基準の導入ということになるわけです。

以上述べてきましたことは、私の妄言に過ぎません。これらの話の中には、私の思い込みや勘違いによる、重大な誤りがあるかもしれません。
しかし、金融市場と実体経済との関わりが、今のままで良いとは到底思えませんし、それを改善するための何らかの手段を講じる必要があることは、間違いないのではないでしょうか。

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